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2.旧制東海大学設立理由書
(東海大学50年史資料)
設立理由
日本前史ハ敗戦ノ年八月十五日全國民沈痛ノ裡二終リオ告ゲ日本歴史ノ舊約時代ハ茲ニ其ノ幕ヲ閉ヂルト共ニ新日本ノ新約ノ時代ハ流ルル歴史ノ洋上ニ其ノ微カナル姿ヲ現ハシタリ、今ヤ日本民族ハ敗戰トイフ荊ノ傷口ヲ通シ堪エ難キ苦痛ノ中ニ希望ト幸福ヲ探求シツヽアリ、然レ共巷ニ叫バレル所謂民主主義國家ハ容易ニ之ヲ完成シ得ルモノニアラズ、デモクラシーハ道義ノ文化ニ出發シ道義ト識見ガ個人ノ中ニ深ク培養セラレ社會文化ト社會秩序ノ基礎トナルニ及ビ初メテ民主主義國家ハ現出スルモノナリ、斯クシテ社會文化ト社會秩序ノ耕作地タル教育機關ノ使命ハ一ニ道義ニ根ザス歴史哲學ノ把握ト高キ使命觀ノ體得ニアリ、實ニ有史未曾有ノ戰ニ無謀ニモ突入シ加フルニ惨憺タル敗戰ヲ喫シタル歴史的事實ノ裏ニ潛ム其ノ理由ニ對スル冷静ナル反省コソ今日我國民ニ課セラレタル重要課題タリ、即チ日本民族ノ有スル第一ノ傳統的缺點ハ歴史哲學ノ眞髄ニ徹セズ其ノ基礎ノ上ニ立チタル道義的社會訓練ニ不足シ、人情ニ麗シキモ高キ理想ト冷静ナル判断ヲ誤リ確固タル人生觀、歴史觀ヲ把握セザルコトニアリ、又其ノ第二ノ缺點ハ科學性ニ乏シク科學、哲學、宗教トノ相關關係ニ於テ確固タル世界觀ヲ把握セズ科學ノ目的トスル使命觀ニ缺ケタルコト之ナリ、文化及自然科學ノ高キ使命觀ヲ把握シ、歴史哲學ノ示ス民族理想實現ノ大進ヲ邁進スルノ人材ヲ養成スルハ新日本建設ノ重要ナル課題ト云ハザルベカラズ今ヤ日本及日本民族ハ一切ノ武器ヲ捨テ世界平和ノ先駆驅者トシテ理想的文化國家ノ建設ニ平和ノ進軍ヲ踏ミ出スベキ義務ト名誉トヲ課セラレタリ、茲ニ我ガ財團法人ハ如上ノ目標ニ對シ新日本建設ノ一助トシテ及バズナガラ此ノ教育ノ理想ヲ確立スベク東海大學ヲ設立スル次第ナリ、

<解説>
上の資料は、1946年2月18日に提出された旧制東海大学の設立認可申請書の一部分です。この申請は、1918年公布の大学令にもとづいて行われたもので、大学課程は予科3年(文科・理科)、学部3年(文学部・理工学部)、研究科2年以上という申請内容でした。
ここに掲げた申請書の設立理由には、戦後の困難な時期における松前重義の教育への熱意が記されています。すなわち、松前の教育構想である、「文化及自然科 学ノ高キ使命感ヲ把握シ、歴史哲学ノ示ス民族理想実現ノ大道ヲ邁進スルノ人材」の養成を目指す高等教育の場が、1943年に設立された航空科学専門学校を 経て、ここにようやく大学という機関として具体化されるに至ったのです。設立が認可されたのは、46年5月1日。この認可によって、それまでの財団法人東 海学園の名称は財団法人東海大学と改められました。呼称としての「東海大学」がここに誕生したことになります。
認可申請時松前は逓信院総裁の職にあり、学長には逓信省時代に上司だった梶井剛が就任しました。開設時の入学者は文科41名、理科88名の計129名で、 終戦後の社会を反映して多彩な人材が集まりました。しかし、認可からまもなく松前は公職追放となり、大学経営に関与することができず、戦後の混乱期の中 で、緒に就いたばかりの大学運営も困難な局面をむかえることとなります。
旧制東海大学設立認可申請書
旧制東海大学設立理由書
 
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