今の政治・経済・経営は何をやっているのか!

 日本の経済成長が鈍化したと言われて久しい。景気の回復局面が長期にわたっているというが、いざなぎ景気(1965年11月から1970年7月)を超えたという平成景気の成果は、実質経済成長率が年平均でわずか2%程度である。この成長率は、賃金が毎年下がり続けることを意味する。現代社会の歯車として生きる多くの人々の苦しさが徐々に増しているのは、そのためである。しかし、過去の時代を生きた人々は、いざなぎ景気の年平均11.5%の時代を懐かしく振り返り、今の政治・経済・経営は何をやっているのかと憤りをあらわにする。

日本経済は成長するのか?

 経済成長に関わる議論は様々あるが、その主要因を(1)労働、(2)資本、(3)生産性の3つだと考えるならば、日本の人口は急激に減少することが予想され(図1)、既に4人に1人が65歳以上の超高齢社会に突入し、そのうえ少子化とともに長寿化が影響して、高齢化率が2050年頃には40%程度になると推計される。日本に労働力からの成長を期待することは難しい。


<図1 日本の超長期人口の推移>


注:破線は2014年を示し、これ以降の人口は国立社会保障・人口問題研究所による推計値(出生中位)である。
出所:フリー百科事典ウィキペディア「近代以前の日本の人口統計」の複数の研究者による1721年以前の日本の推定人口より筆者作成


 資本の拡大を考えてみても、長い間の低成長によって企業の資本は拡大せず、国内への投資マインドは低迷している。企業は、わずかな資本から工面するなら、当然ながら安価で良質な労働力が確保できる外国へ投資するだろう。そのうえ国内では、高齢化とともに貯蓄率も低下し、高水準を誇った貯蓄が投資にまわることもなくなっている。優良企業の多くが国際企業となっている日本の現状を考えるならば、残念ながら、資本の拡大を見込むことも難しい。

 最後の頼みの情報化に期待をかけて生産性の向上を目指したいが、日本政府のここ20年ほどの取り組みは、IT(情報技術)と言っても、ものづくりにこだわり続け、良い「もの」は売れると、良質なパソコンやスパコンは生産したのだが、「情報」そのものの生産性は高まらなかった。それどころか、過去に蓄積したものづくりの技術は情報となって、インターネットから世界中に広まり、アジアを中心とする諸外国と日本の生産性の差はなくなりつつある。さらに新興国は、教育の水準を向上させ、良質で安価な労働力が、次から次へと創造を重ねている。日本に追いつけ、追い越せなのである。

 というわけで、(1)労働、(2)資本、(3)生産性のいずれを見ても、日本が、今後、経済成長を見込むことが極めて困難であるという結論を導くことは、過去の経済成長を期待しない人ならば比較的容易である。

頑張ればうまく行く?、頑張ってもうまく行かない?

 それでもなお「頑張ればうまく行く」という過去の栄光と成長期に築かれた価値観にすがろうという気持ちが社会を支配している。A.トクヴィルが多数による専制を指摘したように、民主主義のなかの権力は、「再生」を望む多くの声に押されて、高い物価目標を掲げて、いよいよシニョリッジ(seigniorage:通貨発行益)の誘惑に負けそうである。

 お金は紙の印刷物であるから刷ればいくらでも発行できる(図2)。また最近ではキーボードをたたけば、国家という権力機構は、社会に流通する貨幣をいくらでも増やすことができる。税収が不足し、借金をするために発行された国債を日本銀行が買い取るというのは、まさに、通貨を発行することに他ならない。要するに、国が、自分自身で印刷機を回してお金を刷って、借金を払うという政策である。


<図2 国立印刷局キッズコーナー「お札ができるまで」
出所:http://www.npb.go.jp/ja/kids/dekiru01.html

 

 今、日本政府が実施しようとしている経済政策の要点を簡単に説明するならば、まず日銀が大量の国債(国の借金)を買い取る。そうすると市場に大量のお金が出回る。例えば、みんなが1万円しか持っていなかったときには100円だったパンが、みんなが10万円を持つようになればパンを1000円で買うようになる。このようにお金の価値が相対的に下がることで物価が上がる。その物価目標が今回は2%ということなのだが、物価が上がれば、賃金も増える。賃金が増えれば、消費も増えて、貯蓄率も上がり、投資が増える。よって成長局面となるからデフレから脱却できるというわけである。

  劇薬とも言える今回の政策が、短期的であっても成功してくれることを切に願うけれども、悪い結果を想定しておくことも大学人としては必要だろう。

  資金が大量に流通して物価が上がるところまでは同じだとして、問題は、まず賃金が増え、資本が拡大するかどうかにある。日本の物価が上がり、通貨の相対的な価値が下れば、輸出に頼る日本企業は、海外に「もの」を高く売れるようになる。それゆえ収益性が高まる。ここまでは良いが、そこからが問題だ。企業は、そこで得られた収益を、生産性は新興国と変わらないのに賃金は高い日本の労働者に回してくれるのだろうか。高賃金を加味すると旨みの少ない国内に、国際化した日本企業は新たな資金を投資するのだろうか。さらなる心配は、仮に、労働者の賃金が上がって、貯蓄が増えたとしても、日本人は日本の企業に投資するのだろうか。インターネットの時代である。成長著しい新興国の市場に投資するのではないだろうか。そして、何より政治的な不安定の中にある政権は、予算を膨らますことはあっても、物価が上がる中、歳出を削減し、財政を再建することができるのだろうか。そして、財政の縮減を国民は歓迎するだろうか。大量の資金の供給と更なる財政状況の悪化が、海外からの信用を低下させ、結果として円は紙くず同然にならないだろうか…。

未来に生きる人々が目指す時間と空間の豊かさ

  今、大学に学んでいる少数派の若い世代は、経済成長を知らない。そして、将来日本全体が、地方部の市町村のように人口減少とともに超高齢化することを知っている。そして国連が推計するように、世界の人口もいずれ減少し、高齢化することも知っている。

  学生たちは、頑張ったからといって美味しい思いができるという感覚を持ち合わせていない。むしろ、頑張ってガツガツするその姿をカッコ悪いものと感じてさえいるようでもある。クールな学生たちは、なぜ、そんなリスクを冒してまで、日本はデフレから脱却しなければならないのかと問う。今ある資源を大切に守り、それを守るための貢献的な活動に、なぜ、人生の貴重な時間を使ってはいけないのかと問う。地方には豊かな自然空間がたくさん残り、充実した都市基盤の中で文化的な生活を送ることもできる。そんな世代なら、安定思考は当然の帰結である。

 


<写真:神奈川県唯一の専業猟師 井上さんを訪ねて>

<写真:ツアールート開発中>

 彼ら、そして彼女たちは、日本の地方にある美しい農山村の風景や自然の空間をいつまでも大切に守るべきだと言う。企業戦士となって人生の貴重な時間を失うよりも、賃金は少なくても良いから大切な家族を守るための時間、助けを求める人々に貢献するための時間を大切にしたいと言う。お金のための労働は、夫と妻でシェアすることで、家族の時間を大切にすると言う。スマホを器用に扱う学生たちの目の前から、お金を追い求める政治・経済・経営の姿は、徐々に姿を消しつつある。そして時間と空間を大切にする政治・経済・経営のかたちが創られようとしている。

 教育は、人間の能力を高めるための社会的機能であるが、同時に未来に対応する能力を育む場でもある。人の能力が高まれば、労働の質は向上する。そうなれば情報の創造性は高まり、生産性も向上する。生産性が上がれば、時間を確保することができる。時間ができれば、人々を大切にする余裕が生まれる。その余裕は、日本に残る豊かな空間も大切にできる。そして、みんなが幸せに暮らせるようになる。

 人生の半分はお金でもいい。でも、残りの半分は、時間と空間を大切にする。そんな幸せな未来を学生たちとともに創りたい。

<写真:ゼミ生が開いてくれた誕生日会>